【要介護】86歳マイナスからの出発。生き甲斐を見つけた父 (2)

【要介護】86歳マイナスからの出発。生き甲斐を見つけた父 (2)

せん妄を起こした父

今から7ヵ月前、父は、家で突然「ネズミがいる」と幻覚を見るようになりました。退治しなくちゃいけないと、部屋中をひっくり返したり、窓をたたき割ろうとしたり、部屋はメチャクチャで、物も相当数壊れました。洋服を胸にかかえたままお風呂に入ったため、部屋もビショビショ。ゴミ箱に排尿もしてありました。 ...

最後には、「退治するんだ」とハサミを振り回し、止めに入った知人の男性を殴って怪我をし、警察に取り押さえられ、そのまま精神病院の閉鎖病棟、隔離室に医療保護入院となりました。

父の病気は「急性一過性精神病性障害」

父の病気は、認知症なのかと思ったらそうではなく、「急性一過性精神病性障害」というものでした。急性一過性精神病性障害とは、ショックな事とかストレスがかかったときに、正常な認知機能が失われ、おかしな言動を起こすようになるもの。

確かに父の場合にも、「ネズミがいる」と幻覚を見るようになったのは、仲のよかったお兄さんが危篤になったという知らせを受けた直後でした。

原因は、きょうだいの危篤・死

本当に仲のよい兄弟で、父にとっては、唯一の兄であり、自分を大学まで出してくれた父親のような存在だったようです。私は常々「お父さんは、おじさん(父の兄)が亡くなったら、後を追うように逝ってしまうかもしれないな・・」と思っていました。

私の読み通りだったというか、私の読みは甘かったというか、父は、お兄さんが亡くなるより先、危篤の知らせを受けた段階で、正気ではいられなくなったようでした。

一生精神病院から出られないと思っていました

気が狂ったようになり、しかも人を殴って怪我をさせ警察沙汰。一生閉鎖病棟暮らしだと母も、夫も、私も思いました。しかし父は、入院4ヵ月の間に、お兄さんの死を受け入れられるようになりました。お兄さんが亡くなったとき、父は入院中で隔離室に収容されており、お葬式には行けず最後のお別れもできず仕舞いです。父には相当に悔やまれることだったに違いありませんが、「兄貴に怒られるな。化けて出られるかも」などと冗談めかして話しができるようになりました。今では毎朝、お兄さんの写真に手を合わせているそうです。

生き甲斐を失った父。そして新しい生き甲斐

父は、教師を定年退職まで続けた後、お兄さんの庭を借りて畑をしていました。お兄さんとは、毎日顔を合わせ、日中をお兄さん宅で過ごしていました。「お父さんは、おじさんファミリーの一員だと思っていないだろうか?」と思ったくらい、お兄さんの家に入り浸り。慕ってやまないお兄さんの存在は、父にとって老後の「生き甲斐」「生きる支え」だったかも。

それを知っていたからこそ、私も夫も「お父さんは、生きる支えを失って、たぶん気が狂ったまま復活できないだろうね・・」と一度は思ったのです。しかしどうやら父の「スポーツノート」は、昔から趣味ではあったけれど、お兄さん亡き今「生き甲斐」に昇格。新しい父の生き甲斐として、父の心の支えになっているようです。

趣味は作っておくものだなと思う

「俺には趣味がない」などと父はよく言っていたけれど、そんなことなかったんじゃない?お父さん。選手やチームの成績を記録し続けている父の「スポーツノート」。父には「趣味」という自覚はなかったようだけれど、立派な趣味だったんだなと思う。そして、趣味は、ときに人を救う! 生き甲斐にさえなってくれるものなんだな、と思いました。

私も自分の趣味を大事にしよう。いい趣味かどうかとか、人に誇れるものかどうかとか、そんなことはどうでもいい。更年期で生き甲斐を失いがちな私だけど、好きなことをする、それだけでいいのかもね、と思う。だーーーいっ嫌いな父だけど、この件については、「勉強になりました」と素直に感謝しようと思う。


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