子供を愛着障害にした毒親。子供への影響と対処法 (2)

子供を愛着障害にした毒親。子供への影響と対処法 (2)

私には、母とのいい思い出が全くありません。 ...

私が覚えている、一番最初の記憶は4歳のとき。泣いている自分。母親に甘えたいのに、甘えさせてもらえず、不安で、心細くて、そして「泣いていることを叱られるのではないか」と怯えている自分の姿。

私は、母と離れることを極端に怖がる4歳児でした。同じ年齢の子たちが、少しずつ母親と離れて遊んだりすることができるようになっていった頃、私はまだ、母の姿が見えないと猛烈に不安でした。そんなとき母は、冷たかった。「みんな、できてるのに、どうしてあなただけできないの?」。軽蔑するような、怒っているような顔で言いました。母から離れなければ、嫌われてしまいそうで、私は、母にすがりたいような気持をいつでもグッとこらえ、そしてただひたすら泣いていました。

小学校にあがっても、それは続いていました。忘れもしない1年生の運動会のとき、私は、保護者席に父と母の姿ばかりを探していました。見つけるとホッとし、いなくなると不安になります。途中で両親は、別のところへ行ってしまったようで、長いこと両親の姿が見えませんでした。私は、泣いてしまいました。どうしたの?と先生に聞かれました。先生に、「お母さんがいなくなっちゃった」と小さな声で答えました。周囲の友達にからかわれました。先生から両親に、後日その話が行き、私は親から笑われ、叱られました。「そんな子、恥ずかしいよ」と。

私は、親との愛着関係の構築に失敗していたのだと思います。姿が見えないと、不安。そこにお母さんやお父さんがいなくても、親との愛着や信頼や、「見えない絆」のようなものを感じることができていなかった、だから不安で仕方なかったのだと思います。

思えば母の口癖は、「甘え癖がつく」でした。母は、私が甘えると必ずつっぱねました。母を身をゆだねるとか、母にすべてを預けるとか、そういう経験や安心感を得たことがない。高校生のときに、「お母さん!」とふざけて抱き着いたら、「あなた、生理中? そういうときって体臭きついのね」と言われました。2度と、母には近づけませんでした。

そんな私は、大人になった今も、孤独感が拭えません。友達もいるし、夫もいます。でも、広い広い真っ暗闇の世界の中に、ポツンとひとりいるような、そんな孤独感があります。 それでも、私は愛着障害なのかもしれない、と気づいて生きづらさが少し緩和しました。おそらく私は、親におもいっきり甘えることなく、甘えられてうれしいという態度も取ってもらえず、育ったのだと思います。「自分には、誰かが必ずそばにいてくれる。自分はひとりぼっちじゃない。そんな風に思える何かが必要なんだろうな」と思いました。

夫を「親の代わり」にするのは違うような気がしました。私は、家にあった大きなぬいぐるみをかたわらに置くようにしました。不安になったとき、抱きしめると安心します。夫に、自分の生い立ちを話しました。夫は、私の話を信じてくれました。そして「いい年して、ぬいぐるみ抱っこしてるなんて、軽蔑する?」と聞いたら、「しない。したいようにするのが一番いいよ」と笑い、その日からそのぬいぐるみは、夫にとっても「家族」になりました。

愛着障害は、一生治らないのだそうです。薬もないのだそうです。でもこのぬいぐるみは、私の精神安定剤なのだと思います。夫のことも、愛してはいるけれど、親密になるという感覚がないというか・・おそらく「愛着」がわかないのだと思います。そのことを知っていても、それでも前と変わらず私を好きでいてくれる夫。「人から信頼されるとか、人と信用するってこういう気持ちなのかな」。私にもちょっとわかった気がしました。


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