認知症?精神病院に長期入院した高齢父。その全記録 (2)

認知症?精神病院に長期入院した高齢父。その全記録 (2)

入院から3ヵ月半過ぎ、「医療保険請求用の書類ができた」と病院から連絡がありました。医療保険に提出する医者の診断書には、病名を記載する項目がありました。「そこには、なんと書いてあるのか?」私たち家族は気になりました。この時点で、担当医との面談は一度も実現していません。病名も聞かされていません。窓口になっていた「退院後生活環境相談員」のFさん(イニシャルではありません)に、「病名は何ですか」と母が電話で聞いてみました。驚いたことに、Fさんはあっさり教えてくれました。教えてくれて助かったのだけれど・・「医者ではない人が、電話であっさり患者の病名教えちゃうの?!」とかなり驚きました。父の病名は「急性一過性精神病性障害」とのことでした。

急性一過性精神病性障害

担当医からの説明が何もないので、私たちは、入院して3ヶ月半、父の病気は「統合失調症」か「認知症」どちらかだろうと思っていました。病院に支払いをしたときに渡される「診療明細書」には投薬情報があり、父が飲んでいる薬を把握することができました。それを片っ端から調べ、統合失調症の治療に使われる薬と、アルツハイマー型認知症の進行を遅らせる薬を飲んでいるとわかったからです。 ...


手書き部分は私のメモです。私は、まったくの医療素人です。本来は担当医から説明を受けるべきことだと思いますが、担当医からの説明がないので自分で調べざるを得なくなりました。ネットで検索した程度のメモ情報です。

「急性一過性精神病性障害」は、初めて聞く病名でしたが、調べてみれば「あぁやっぱりそうだったのか!」と合点がいきました。急性一過性精神病性障害は、認知症とも統合失調症とも違う病気です。高齢者特有の病気でもありません。急性一過性精神病性障害は、むしろ若い人に多く、失恋したりリストラに合うなどショックなことがあったとき、それをうまく受け止めることができず正気ではいられなくなってしまった状態です。

父の精神病。発症の原因

実は父には、気が狂ってしまってもおかしくないようなショックな出来事が入院の直前にありました。父の兄が危篤になったのです。父と兄はふたり兄弟。父に父親はおらず、このお兄さんが働いて父を大学まで出してくれたという関係にあります。父にとって、このお兄さんは、兄であり「父」のような存在。父は定年退職後、毎日のように自転車で30分以上かけてお兄さんの家に遊びに行っていました。

そのお兄さんが危篤だという一報を聞いたとき、父は見舞いに行きませんでした。いえ、行かなかったのではなく、正確には「行けなかった」。お兄さんが死んでしまいそうだ、という事実を受け止められず怖くて行けなかったのではないかと思います。

気に入らないことがあると怒り出すDV夫の父ですが、本質は異常なまでの小心者。例えば、中日の大ファンの父ですが、負けるとショックだからとナイター中継が見れません。勝ったとわかれば、それを報じるスポーツニュースを夜遅くまで見続けます。負けたとときにはカンカンに怒り、「バカ」だの「ボケ」だの夜遅くまで怒鳴り散らし、それでも怒りが収まらず不眠になってしまいます。

父の1回目の入院(体が震え、地元の総合病院に救急搬送)は、お兄さんの見舞いに行ってきた母が、帰宅後その様子を父に話して聞かせたその深夜に起きました。私たち夫婦は入院当初から「おじさん(お兄さん)の危篤にショックを受けて、お父さん、壊れちゃったんじゃない?」と話していました。それが裏付けられたような「急性一過性精神病性障害」という病名でした。

ちなみに、そのような病名の病気なら、担当医から「発症のきっかけになった出来事は何かありますか?」などと聞かれてもよさそうなものですが、もちろんこと一度も聞かれませんでした。母が初めて担当医と話をしたのは、入院から4ヵ月目、退院前日なのですから! この病院には、患者が退院することが確実になるまで、家族と会ってはいけない規則でもあるの?!と疑いたくなります。

精神病院での生活

精神科病院、閉鎖病棟の「保護室(隔離室)」に入院した父ですが、病状が落ち着き、8日目からは、同じ閉鎖病棟内の普通の病床(相部屋)に移り、そこから約4ヵ月を過ごしました。精神科の閉鎖病棟とは、こんな生活でした。

入院時に、下着と着替え(トレーナー)を持ってくるように言われました。「紐やボタンがついてないもの」という指示も。それを聞いたとき、「それが精神科なんだな」と実感しました。誤飲したり、凶器になる可能性があったり。そういうものは持ち込んではいけないのだろうと思われます。母が病院に下着や着替えのトレーナーを持っていくと、その場で名前をかかされたそうです。

母が下着やトレーナーを持っていくまでの間は、病院側が、病院内の売店で調達してくれていたようです。


これは、病院内にある売店の請求書。月末にまとめて支払います。入院当日にTシャツやバスタオル、ジャージ、トレパンが、入院4日目にはサンダルが購入されたことがわかります。

父は入院中、紙オムツや紙パンツをずっと利用していたようでした。それも、病院内売店での購入物として請求があります。(入院前は、オムツも紙パンツも使用していなかった父ですが、退院後は、必ずしも必要ではない状態であるものの「その方がラクだから」と紙パンツを使い続けているようです。)

食事3回、朝食は7時。おやつの時間が日に2回あり、家族が差し入れてもいいようでした。父の場合には、看護師さんなどが病院内の売店で買ってくれていたようです。高くて1回100円程度。「食品」欄に「ジュース」「チョコレート」といった文字が見えます。食事代とは別に、売店利用として請求がありました。

入浴は週2回、火曜日と金曜日だったそうです。洗濯は、病院の方で外注してくれているようでした。売店の請求書に「外注洗濯料」という文字が見えます。月4000円でした。

お金は持たされておらず、このような病棟の看護師さんは、病気のケアだけでなく、患者の日常生活の世話もしなければならないことになります。その費用として「医療外事務費」月額2000円(保険適用外)を支払うことになっていました。

閉鎖病棟なので外出はできませんが、電話は自由にできます。入院してまもない頃は、看護師さんに頼んで自宅に電話をかけてきていた父でしたが、次第に自分で家に電話をしてくるようになりました。電話代も月末まとめて請求されました。

錯乱状態で精神病院の隔離室に入院した父でしたが、入院から4ヵ月目には見事復活?!(DV夫であり毒父。長年父に悩まされ続けてきた私たち家族は、正直なところ複雑な気持ち、、)。退院前には散髪をして身だしなみを整えた様子も伺えます・・。

母の反応

父の入院騒動を複雑にしたのは、実は「母」の存在でした。母は、父の入院直後から「お父さんを介護施設に入れてしまいたい」と言い張り続けました。父の衣類や布団などをさっさと廃棄し、自分ひとりで暮らしやすいように模様替えしたりして、その意思はかなり固いものに思えました。

しかし、施設に入れるにはお金がかかります。致命的なことに、父と母にはお金がない。母は無計画で無頓着。父は、退職金のすべてを飲酒に使ってしまったような人。夫の実家は、土地がない、家がない、車もない・・資産と言えるものが何もない。それだけではありません。貯金もない(今回、夫が両親の通帳をチェックしたら、頼みの綱だった定期預金まで夫婦揃って使い込んでおり、利子まで取られ続けていたことが判明)。夫に何も残らないことは重々承知していた私たちですが、ここに来て「介護施設に入れたい」だなんて・・。私たちに援助する余裕は、経済的にも気持ち的にも(この両親には、同情できない部分が多いので)ありません。

それでも母の置かれている現状を考えると一蹴する気にはなれませんでした。母は、父が発作を起こしたとき、父から別人のような形相で唸られ睨まれ、ハサミを振り回され・・トラウマを負いました。母のために何とかできないかと、私はいわゆる老人ホームや介護施設(特養、老健)、「サ高住(サービス付き高齢者住宅)」と言われるものまで、調べに調べました。この話は、後ほどしたいと思います。***


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