子供を認めない。コンプレックス。劣等感の塊の父親 (2)

子供を認めない。コンプレックス。劣等感の塊の父親 (2)

そして私には、忘れられない出来事があります。その日私は、兄と、町のお祭りに行くいくことになっていました。父が小遣いをくれました。父が、私の目の前で、千円札を兄に渡したのを見て、私は元気よく「お父さん、ありがとう!」と言いました。私は、ふたりで使うお金を、兄に渡したのだと思ったのです。それが父の逆鱗に触れたようでした。「なんでお前が礼を言うんだ。でしゃばるな!」。勘違いした自分が恥ずかしく、悔しく、そして悲しかった・・。 ...

私はいつでも、「いつか私も、お父さんから認められたい」と思っていました。それが、努力家の私を作ったのも事実ですが、私の性格は歪んでいきました。父から辛く当たられるたびに、「私のどこが悪いんだろう」と、反省しなくてもいいことまで反省し、直さなくてもいい自分の性格を直そうとしてしまう。だから私には、思春期を過ぎても、永遠に終わらない「自分探し」をし続けているようなところがありました。「自分は、普通にしていたら嫌われ者なんだ」と思い込んでいて、異常に人に気を遣い、自分が他人の目にどう写っているのかそればかりを気にしてる。だから、成長するにしたがって、友達がどんどんできにくくなっていきました。

「私は何も悪くなかった」・・そう思えるようになったのは、家を出、結婚し、子供を持ってから。自分の悪いところだと思い込んでいた負けん気の強いところも、夫に言わせれば「あなたほど一緒に何かをして楽しいと思える人はいない」。私のいいところ。私は私のままでよかったのだなと思いました。

そして、ひとり息子を育てながら、つくづく思います。自分の子供には、絶対に言わない、言いたくない、言おうとも思わないような言葉を、私は父から始終言われ続けていたんだな、と。

大人になった私の目で、父や母の姿を思い起こせば、父が私に言った「でしゃばるな」といった言葉は、母へ言いたい一言だったのではないかと思えてきます。父は、母に頭のあがらない人でした。頭の良さでも、判断力でも、収入さえも、父を上回っていたキャリアウーマンの母に、父は劣等感を抱いていた。その心のモヤモヤを、弱い立場にある私を攻撃することで晴らそうとしていた。それが事実だとしたら、本当に最低の父親だと思います。

親が子供に対して、どんなに不適切な言動をとっていても、子供はそれに気づけない。それに気づけるほど大人になったときには、すでに10年とか、20年といった年月が過ぎ、そこから回復するのも難しいくらい深く深く傷ついているものなんだなとつくづく思います。私はまだ運がよかったと思います。父と一緒になって私をいじめたりしなかった兄や、ありのままを愛してくれた夫に感謝し、最愛の息子を大事にしたいと思います。


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